【学校で身に付く国語力】と【社会で求められる国語力】が違いすぎた件について

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【学校で身に付く国語力】と【社会で求められる国語力】が違いすぎた件について

こんばんは。元教師のsususuです。

4年間国語の教師をやっていましたが

当時は

登場人物の心情を読み取りさない~

とか

文章から何字で抜き出しなさい~

とか

よくやっていました。

自分が学生時代に国語を受けていた時は

それが国語

だと思っていたし、

教師になった時も自分もそれでいいのだろうと思って教えていました。

しかし、学校を離れていざ社会に出てみると

自分が教わってきた国語も、自分が教えてきた国語も

あまり役に立っていない・・・

という事に気付いてしまったのです。

昨今では現代っ子は図表を読み解く力がない!とか

騒がれていますが、それ以上に付けるべき力があるようです。

というわけで、この数か月で私が感じた

社会で役立つ国語力についてとりあえず3つ書いていきます。

【質問に対して、的確に答える】

【結論を述べてから、理由や背景を述べる】

【話す内容は事前に整理しておく】

【質問に対して、的確に答える】

これはどういうことかというと

「あなたはAですか?それともBですか?」と質問されたら

「私はA(B)です。」と答えるという事です。

そんなの簡単じゃん!と思うかもしれませんが

意外とできない人が多いです。そして私もまだまだできません。

「Aなのか?Bなのか?」と質問されているのに

「私はCですね。Dでもあります。ちなみに・・・」と

聞かれてもいないのに、余計なことをべらべらと答えてしまう

みなさんはいかがでしょうか?

ちなみに私は

「Aなのか?Bなのか」と聞かれているのに

「1です!」と答えてしまうことが多々あります・・・

相手は「Aなのか、Bなのか」を知りたいだけなのです。

だから「Aです。」と答えればいいのです。

もし、AでもBでもないなら

「AでもBでもありません。」と答えるだけでいいのです。

それに対して「じゃあCなの?Dなの?」と聞かれたら

「はいDです。」と答えればそれでいいのです。

相手が聞きたいことだけをただ答えればいい

ということに今更気付いたのです。

もちろん、プライベートなら自由に話していいでしょう。

しかし、仕事ではそれは通用しないということを日々感じています。

 

【結論を述べてから、理由や背景を述べる】

これは先ほどと似ています。

何か答えるとき、報告するとき、質問をするときにとても重要です。

「結論Aです。理由はBです。」とシンプルに答えることは

慣れないと難しいものです。私もまだまだ慣れません・・・

出来ない人は

「Bということがあって、Cっていうのもあって、結果的にAでした。」

と支離滅裂になっています。

結局何が一番言いたいのか、聞きたいのか、知らせたいのか

自分の頭で整理できていなければ、相手に伝わるわけはありません。

これは完全に習慣だと思います。

常日頃から、「結論→理由」の順で発言する癖をつけなければいけません。

ちなみに国語の授業では、

小論文や、討論の時は「結論から先に述べましょう」と言いますが

どんな状況下でも、結論から先に述べられるようになった方がいいです。

 

最後に

【話す内容は事前に整理しておく】

国語の授業では発表などでよく台本を書かせますが

発表に限らず、ちょっとした報告でも事前に

話す内容を整理しておく必要があります。

内容としては

→どんな結論なのか

→どんな目的なのか、どんな理由なのか、どんな背景なのか

→その上でどんな行動を取ろうとしているのか

を整理しておきましょう。

これは頭の中だけで用意しても意味がありません。

紙でもいいし、パソコンでもなんでもいいので

文字に起こしましょう。

そして、文字に起こしたら余計な部分は省きましょう。

報告・連絡・相談のことをよく「ほうれんそう」と言いますが

報告、連絡、相談される相手のことを考えましょう。

その相手の時間を奪うことになります。

相手は暇ではありません。

相手の時間を奪うのだから事前に話す内容がまとまっていなければ

失礼です。

相手の時間を浪費しています。

 

【質問に対して、的確に答える】

【結論を述べてから、理由や背景を述べる】

【話す内容は事前に整理しておく】

いかがでしたか?

もし学校で先生から

「そんなことは聞いていません」

「質問に正しく答えなさい」

「結論から話しなさい」

「話しかけるなら事前に話す内容を整理しておきなさい。」

と言われたら、怖いですよね。

先生は内容がまとまっていない話でも

結論が分からない話でも

優しく聞いてくれます。

確かに優しいのはいいけれど

大人になってもその会話の癖が抜けなければ苦労することになります。

 

確かに、学校でそれを求めたら

子供たちは疲弊してしまうかもしれない

けれど、若いうちからそのベースが付けば

少なくとも社会に出てからのコミュニケーションで

苦労することは減るでしょう。

思えば教師だった4年間は居心地の良い空間を作る

ということに注力していました。

しかし、今思えば、それは本当に正しかったのだろうか・・・

学校は楽しければいいだろ!と思っていましたが

そんな自分の考えは甘かったように感じます。

というわけで

【学校で身に付く国語力】と【社会で求められる国語力】が違いすぎた件について

書きました。以上。

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